平成25年7月15日から

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門徒とお盆
 はい、長念寺テレホン法話です。
 7月8月はお盆の季節です。いつも思うことですが、お盆の習俗の中で、浄土真宗のあり方を考えることはとても大切なことだと思います。
 あるお宅で、門徒の皆さまとお話をしているときに、迎え火・送り火の話になりました。「うちでは門徒だから、昔からしていない」と言う方もあれば、「うちのおばあさんは門徒なのに迎え火・送り火をしていたな」という人もありました。
 私は、「このあたりでは、浄土真宗のお寺はうちだけで、圧倒的に他宗のお寺の多い地域ですから、お盆の習俗が他宗の影響を受けているのも、ある面ではやむを得ないことでしょう」とフォローしながら、精霊棚を飾らない理由などを話しました。
 そのうちにご門徒の方から、
 「よく考えてみれば、お盆のときだけご先祖を丁重にお迎えして、終わってしまえば『さようなら』ではなにかおかしいですよね」
 「ご先祖は、阿弥陀さまのお浄土にお生まれになられ、阿弥陀さまとご一緒に働いていてくださっているのだから、お盆の考え方でいけば、一年中お盆のようなものですね」
との話になり、
 「だから、門徒は何もしなくていいから、『門徒物知らず』と言われたわけですよ」
と結論に近づいてきました。すると、
 「私の実家は、天台宗でしたので、実家ではチャント迎え火・送り火をしていました。お仏壇の飾りつけもとても丁寧にしていました。それが、子供たちにとっても楽しみなものでした」
と、女性からの発言があり話が元に戻ってしまいました。
 「京都の大文字焼きも送り火ですよね。お盆の行事は日本の習俗として、いたるところで行われています。それはそれでいいんですよ。でも、私たち門徒はあえてそれをしない」
 「だから『門徒物知らず』といわれたのですよね」
 「その通りです。でも、訳がわからないでしないのではない。迎え火・送り火の意味が納得できないからしない。むしろ仏さまについて充分理解しているからこそしないということです」
 このように、浄土真宗のお盆の形には教えに基づく意味があるのです。他宗とは少し変わった習俗であるということだけで納得したのでは不十分です。ましてや、よそは「チャント」しているが、私たちは「簡単でいい」というような理解では困ります。
 このような話題から、「お盆の意味」や「仏さま」について、また、「お聴聞」についてなど話が広がっていくこともできれば幸いです。
 次の法話テープの交換は8月1日です。