歴史を読み解くロマン
はい、長念寺テレホン法話です。
親鸞聖人のご生涯については、多くの謎があります。まず、その出自については、当時下級貴族であった日野家の出身であるということがほぼ定説になっていますが、幼いころの聖人や両親がどのような生活を送られていたのかはわかりません。
最近では、親鸞聖人の母親は、源義朝の娘で、頼朝や義経は聖人にとって叔父甥の関係にあったということを主張する方々もおります。
また、親鸞聖人が結婚されていたことは歴史的事実です。妻の恵信尼さまについては、その自筆のお手紙が現存しています。大正時代、このお手紙の発見と、直筆の特定により、それまで世間に流布されていた親鸞聖人架空の人物説が完全に否定されたという事実があります。
また、玉日伝説があります。時の関白、九条兼実公の息女玉日姫が聖人の妻であったという説です。玉日と恵信尼についてはそれぞれ伝承があり、同一人物説もあれば、別人であり、玉日は京都時代の妻であったとする説もあります。聖人の長男である善鸞さんの母は誰なのかも、いろいろな説があり興味ある問題です。
また、親鸞聖人と信濃の善光寺との関係も注目されています。親鸞聖人が越後・関東で活躍される前から、善光寺は浄土教の寺として栄えていました。親鸞聖人が善光寺の勧進聖であったという説もあります。
今から800年も前の事実を読み解いていくことは、とても楽しいことです。どの説も、文献や事跡などから読み解かれたものと思います。最近では、いままであまり重要視されなかった文献も、資料として注目をされています。古い文献であっても、親鸞聖人を聖者と表現しようとするあまり、その生涯を潤色して記載していることが明らかなものは無視されてきました。しかし、今ではそのような記述の中にも大事な事実が含まれている可能性は捨てきれないと考えられています。
親鸞聖人は、鎌倉時代の大きな歴史のうねりの中で、誰もが救われることのできる普遍的な教えを説かれ、時代に流されることなく生き抜かれた特異な人物でありました。その偉大な人物の生涯を読み解くことは、聖人を尊敬する人々にとってとても重要なことなのです。
いろいろな説があることは、私たちにとって興味つきないことであります。どの説が事実であるかは、新たな信頼性の高い文献が発見されない限り特定できないことかもしれません。ロマンがあります。
次の法話テープ交換は11月1日です。