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平成25年12月16日から

煩悩則菩提
 はい、長念寺テレホン法話です。
 いよいよ今年も押し詰まってまいりました。除夜の鐘も、もう間近です。除
夜の鐘といいますと、人間が持つ百八つの煩悩の数だけ鐘を撞くと言われてい
ます。長念寺でも、大晦日の夜十二時よりまず百八つの鐘を撞きます。その後
は引き続いて、境内で並んで下さっている方々に、新年の鐘を撞いていただき
ます。
 百八つの煩悩、鐘を撞いたからといって消えるわけではありません。親鸞聖
人が、『歎異抄』で「煩悩熾盛の衆生」と言われていますように、私たちの姿
は、煩悩が絶えず燃え盛っている状態そのものでありますので、一つ二つ消え
たとしても、次から次へと沸き起こってくるのですから、消えてなくなってし
まうようなことはありません。
 そのような煩悩を抱えた私たちであっても、阿弥陀さまの本願力により、必
ず阿弥陀さまのお浄土に生れさせていただくことができるのです。「煩悩則菩
提」とは、まさにそのことであります。
 そのことを、中国の曇鸞大師は、氷上燃火の譬えで、私たちにわかりやすく
的確に示してくださっています。
 もし私たちが、煩悩の一つ一つを自分の力で消していかなければならないと
したら、それは、大変な努力が必要であります。また、努力をしていたとして
も、次から次に沸き起こってくる煩悩に、その努力が追いつくとはとても思え
ません。しかし、他力の教えすなわち阿弥陀さまの誓いを信じることによっ
て、氷の上の燃えている火が自らの熱で氷を溶かし水と一体になるように、煩
悩を抱えた我が身がそのまま阿弥陀さまのお浄土に生れさせていただくことが
できると譬えてくださっています。
 私は、葬儀の時に、必ず親族に、「故人は既に阿弥陀さまの功徳によって、
阿弥陀さまのお浄土にお生まれになり仏さまになっていらっしゃいます。その
ことをしっかりと胸に刻み込んでください」とお話しするようにしています。
その根拠はそこにあるのです。信じてくださるか否かは、その場では問題にな
らないのです。阿弥陀さまのお働きは間違いなくあるのです。しかし、その中
にいながら、信じる信じないという次元に留まっている私たちがいます。です
から、しっかりと胸に刻み込んでいただきたいのです。他力の教えと向き合う
のはこれからでも充分間に合います。「卵が先かにわとりが先か」の論理と同
じです。
 親鸞聖人は、「さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけん
とおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と述懐されています。そのお心
を共感できる身でありたいと思います。
 次の法話テープ交換は1月1日です。