建 物

 附 棟札1枚・木銘札1枚
(川崎市指定重要歴史記念物 平成2年指定)
構 造 桁行57.3尺 梁行55.5尺
入母屋造・銅板瓦棒葺 正面一間向拝・軒唐破
風付 南面
上 棟1824年(文政7年)5月6日
棟 梁 登 戸 小林源三郎
上平間 渡辺喜右衛門

慶安2年建築の本堂が老朽化したため、文化年間に再建の動きが始まる。記録では1814年(文化11年)に、寺の資金を有力門徒に貸付けて利殖する制度が始まり、1816年(文化13年)には、寄附金があつまり建築資材の購入や搬入が行われている。その後7年間木材を寝かせ、1823年(文政6年)に着工し、1824年(文政7年)5月6日には、上棟式が行われている。その後、建具や欄間、内装工事等が断続的に行われた。落慶法要が厳修されたのは、1848年(弘化5年)2月である。建築の動きが始まって34年、本格的な工事が始まって24年の歳月が流れている。
当初、箱棟方形造り茅葺屋根で、棟高が5丈3尺あった。1959年(昭和34年)に、現在の入母屋造り、銅板瓦棒葺屋根に改築した。梁や組物等の彫刻、彩色など、細部にわたる意匠は、江戸時代後期の特徴をあらわすものである。

附 棟札1枚
(川崎市指定重要歴史記念物 平成2年指定)
構 造 桁行11尺 梁行10.5尺
四脚門 切妻造・本瓦葺 南面
上 棟1854年(嘉永7年)
棟 梁 登 戸 小林彌太郎信久
副棟梁 登 戸 小林佐吉作清
彫 工 江戸深川 後藤彌太郎氏前

総欅作りの建築であり、小壁や妻壁を彫刻で埋め、また木鼻(きばな)及び持送(もちおく)りの彫刻や虹梁(こうりょう)表面の浮き彫り、あるいは冠木(かぶらぎ)の地紋彫など彫物を多用し、幕末期の特徴をよく示している。
門扉の定紋の彫刻は、彫工と大工が競争して製作したもので、左右の扉の彫りが異なっている。当時の職人の心意気が伝わってくる・

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(川崎市指定重要歴史記念物 平成2年指定)
構 造 桁行63尺 梁行39尺
一部中二階 寄棟造茅葺の上に亜鉛鉄板 西面
建築年代 江戸時代末期

大黒柱と差鴨居の使用や中二階の通柱に合わせた軒の高い構造及び雨戸を多用するなどの点に、江戸時代末期特徴が認められる。当庫裏は、渡廊下に式台を付ける形式とは異なり、庫裏の正面に玄関を設ける格式の高い形式をもつ。表向きの十五畳間に床間と床脇、書院に床間、違棚、付書院を付け、客座敷とし纏まりを見せている。後世に改造を受けているが、全体的にみると、よく当初の形態を保っているといえる。

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